「とか」「ほう」「みたいな」など、判定を避けて表現をあいまいにする言葉を、最近は「ぼかし言葉」と呼び、注意すべき表現と考える向きがあるようです。

 文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、十代の半数に「ぼかし言葉」が広がっているらしいことがわかっています。この結果を受けて、文化庁うは、こうした現象は「間違った時に傷つかないよう、判定を避け、相手と距離を置いて付き合いたという、今時の若者気質」に起因すると考えているようです。しかし、ほかした表現は、何も最近になってわかわれだしたのではありません。たとえば、「お茶でも飲みませんか」のような表現は、以前からよく使われていたはずです。「お茶を」と限定せずに「お互いに好きなものを飲みましょう」という、相手に選択の余地をもたせる気遣いがそこに現れています。日本人は、このような、押し付けにならない表現を好んで使用してきたのです。では、なぜ、今になってこのような暈した表現が問題にされるのでしょうか。

 「お茶でも飲みませんか」「(酒を)飲みにでも行きませんか」のでもは相手に選択の余地をもたせると先に述べました。以前から存在するぼかした表現は、「なんでもよい」と相手に譲歩しながら、貴方との親交を深めたい」という、人間関係をよく使用とする配慮の表れなのです。

 「違いだらけの日本語」から引用した。